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名古屋フィル第333回定期 ~ マーラー6番 [音楽]

2月10日 名古屋フィル第333回定期演奏会

プログラムはマーラー交響曲第6番。指揮は沼尻竜典です。

曲のパワーもあり、少々ミスもあったとはいえ、全体通せば感銘をうけ名演といえたと思う。感激もの。

打楽器陣を終演後の拍手のなかで最初にたたせていたが、打楽器あってこその6番ともいえるし、その演奏もよかった。

 

マーラーの6番について、おもうこと

私の感覚でいうと、5番までと6番以降で曲の完成度が大きく変わるように感じられる。5番までだと、楽章によっては、けっこう冗長に感じられる部分やものたりないところも感じられるのだが、6番以降はそれがない。

また、6番をよくいわれるのだが、マーラー交響曲中、短調で終わる唯一のものであったり、妙に古典的な形式だ。単に短調で終わるというより、肯定的または安堵できるカタルシスがない。古典的な形式感と行進曲風(軍楽的?)は、進行する不可逆という時間の世界をあらわす感じ。まあ、闘争ともいえる人生をまさしく感じさせる。音楽が時を表現できるものいえるなら、不可逆な時間でしか生きられないもの表現するならばこの形態が確実に適合するとおもうのだ。

ところで、マーラーの交響曲全体を1つの系統に考えるむきもあるが、6番を序曲とし、9番までを連続して聴くと、なんとなく本当に連続したドラマみたいにかんじてしまう。そうすると、あの終結部がなぜ必要かわかるような気がする。

 

6番「人生の闘争=悪夢・絶望」

7番「悪夢からの目覚め(1楽章から4楽章)となんか感じた(切れたような5楽章)」

  6番と7番を連続して聴くと、7番の冒頭は、6番終結部からの目覚めみたいに感じる。

8番「確信と救済」

大地の歌と9番「悟りと別れのあいさつ」

 

こんな情緒的で文学的なのは、1面的でだめなのだが。

ただ、10番の迷いと絶望的な感覚は、これらとはまったく別なものを感じる。


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